連載 No.58 2017年07月02日掲載

 

悔やまれる写真家の死


このスコップは今年2月に撮影して、仕上げたばかりの作品だ。

撮影場所は北海道夕張市の清水沢清湖町。



発電所跡が見渡せる古いダムを渡り湖畔の道を歩くと、林の中に崩れそうな一軒家が見えてくる

もとは写真家の風間健介さんの住居兼アトリエだったが、彼がこの地を離れて数十年がたつ。

古めかしい木造であるから、雪に埋もれていつつぶれてもおかしくない。



北海道の炭鉱や産業遺産の撮影では第一人者といえる彼は、20年近く夕張に住んでいた。

写真集やカメラ雑誌などで、その作品は道内のみならず多くの人に知られているが、

私が興味を持ったのは、そこでの生活や活動を毎日のようにつづっていた彼のブログだった。



「貧乏な写真家が実際に北海道で暮らしていけるのか?」的な部分が当時の日記にはつづられていた。

収入が途絶え、やむなく出稼ぎに出ると泥棒に家を荒らされる、

厳冬期の暗室作業の大変さ、テンなどの野生動物の侵入。

もちろん、いろいろな人との交流、写真展や写真集、数々の受賞などの明るい話題もあった。



1メートル以上積もった雪を乗り越えて廃屋に入ると展示用のギャラリースペースがあり、暗室は2階だ。

昼間でも気温は氷点下10度、散乱する印画紙の箱や薬品のビン、床に散らばったネガにも雪が積もっていた。

日が傾くとさらに気温が下がり、環境の厳しさが伝わってくる



その後彼は東京、埼玉と拠点を移し2年ほど前からは私と同じ千葉県に住んでいた。

公園で写真を売って生計をたてていたこともあり、一貫して作品しか作らない。

写真を売るといっても高価ではなく、安いものなら千円から。

彼のブログには「作品を買ってください」と、毎回のように書かれていた。



写真界では変わり者扱いされることもあったが、枠にとらわれずに新しいものを作る。

ガラスの原板に絵を描いて印画紙に焼き付けたドローイング(彼はそう呼んでいた)も私は好きだった。



ちょうど今回の作品の仕上げに取り掛かった6月17日、

警察から電話で「写真家の風間さんが自宅で亡くなった」ことを知らされた。

私より若い彼の突然死。

驚いたが、物おじせず多くの作品を残した彼の生き方は、寿命を全うしたようでうらやましいとさえ思う。

亡くなる2日前のブログには、私が撮影したスコップが雪下ろし用のものであることが書かれていた。



人気のブログだったから、「カメラが壊れた」と書けばすぐに高級なカメラが送られてきたこともあったようだ。

体調の不良を訴える書き込みもいつものことだったから、

ある意味そういうことに周りが慣れてしまったことも悔やまれる。

警察から電話があったのは、私の連絡先がパソコンに貼ってあったからだそうだ。